デジタルの限界、リアルの限界

読者のみなさま、唐突ですが質問です。

先週1週間、スマホ等デジタルでたくさんの記事を読まれたかと思いますが、「読んだ記事を教えてください」と聞かれた時、そのうち、どれくらいの記事を、いま、ぱっと思い出せるでしょうか。

人が一般的に覚えている確率というのは、以下のように異なるそうです。

【人が一般的に覚えている確率】
・ 文字を読む行為では10% (記事メディア、メール)
・ 言葉を聞く行為では20% (ラジオ)
・ 視覚で見る行為では30% (テレビCM)
・ 聞くと見る両方では50% (ビデオプログラム)
・ 話したり書くことで70% (インターネット)
・ 体験することにより90% (体験)

(引用元:人は読んだことの10%しか覚えてないが、体験したことの90%は忘れない|アドタイ

記憶の定着化がデジタルの限界か

上記データに基づけば、人は読んだことの10%しか覚えておらず、例えば10個の記事のうち9個は思い出されることなく忘却の彼方へ、ということになります。私も思い当たる節があります。

では、思い出せる1個の記事と忘却されるその他9個の記事の違いは何なのでしょうか。もちろん、色々な要因があり、容易に答えられるものではないのですが、一つの分岐として“ジブンゴト”として情報が受け入れられたかどうかではないでしょうか。

読むだけだと、ジブンゴト化のプロセスが深く進まないうちに終了するのではないかと考えています。

デジタルマーケティングの企画をしていると最近良く感じるのは、リアルの体験と比べるとオンラインのみでできることは限界があるということです。

諸々のメディアを含めて、テキストであればどんなに頑張っても10%しか覚えていないという世界。そこを改善して倍の20%に高めたとしても、リアル体験でもたらされる消費者の行動変容へのインパクト(90%)には遠く及ばない。

リーチの減少がリアルの限界か

一方でこんな記事もあります。

あの「文春砲」も販売面では不発だった――。日本ABC協会がこのほどまとめた2016年1月~6月の平均雑誌販売部数調査によると、スクープを連発してきた週刊文春でさえ、販売部数の増加は前年同期比1万9,000部余と、ごくわずか。文春の宿敵の週刊新潮は同じ期間に4万3,000部も減らしており退潮著しい。10万部を割り込む週刊誌も続出し、このままでは「週刊誌」というビジネスモデル自体が崩壊しそうだ。

(引用元:「文春砲」も販売面では不発の週刊誌マーケット|Net BI News

スマホの登場は、消費者の情報収集行動をドラスティックに変えつつあるということなのだと思います。多くの人は、朝起きた時、通勤時、お昼ご飯、待合せ中などスキマ時間で情報収集を行うルーチンが出来始めている。しかもそのほとんどは無料で。

消費者の情報収集行動と、週一回パッケージ化された形での情報提供方法と、ここにきて埋めがたい乖離が数値に出てきたのでしょう。デジタルと真摯に向き合わなければならない時期がやってきました。

デジタルとリアルをミックスして考える

私は会社への通勤、電車で40分ほど。車内の行動はかなりルーチン化しており、まずはスマホでチャットやメール、スケジュールを確認しつつ、経済系ニュースを読んで、それでも時間がある時は本を読んだり、ゲームをしたり、仕事のことを考えたり。

最後はその時の体調次第で、本当に疲れている時は俗世を忘れるためにゲームをする。元気な時は鞄の中からビジネス書を取り出します。

そのような感じなので、この中のほんの一部だけを切り出し、例えば経済系ニュースメディアのアプリ体験はどうですか?とか個別に聞かれると若干違和感を覚えるわけです。

それよりも前後の流れや順番が大事だったり。例えば、返さなきゃいけないメールが多かったりするとその日の通勤はそれで終わり、ニュースアプリを開くには至らない。開かない理由をアプリのUI/UXに求められるとちょっと違うと感じます。

日常生活ではこの不明瞭な連続性ってよくあることで、当たり前の話なんだと思います。ただ仕事になると、デジタルのヒトはデジタルにだけ答えを求めてしまいがちです。そして、リアルのヒトは既存のアプローチを踏襲し続けてしまいがちです。

視野を狭めないためにも、デジタルの限界、リアルの限界を正当に理解してあげたうえで、そのやり方で取り込みたいユーザーに本当に出会えるのだろうか?と自問自答し続けることが大事なことなんだと思います。